先生
(一年三月女子)
入学しきの日、先生をしょうかいしてもらいました。
いろいろはなしをきかせてもらったとき、先生が、
「ちょっとみんなにわからないとおもいますが、先生は、まだ、どくしんです。
おかあさんがたの中で、だれか、わたしとけっこんしてくださるかた、いらっしゃいませんでしょうか。」
なんてふざけているときに、ふっとおかあさんのほうをみたら、
「ウフフフッ」
ってわらっていました。
わたしは、
(この先生でよかったな。)
っておもいました。
たいいくかんでしょうかいしてもらったとき、こさばさんと、
「やあ、一年三くみは男の先生。女の先生がよかった。」
っていってたことが、うそみたいでした。
こさばさんのほうを見たら、ニッとわらっていました。
よこたさんのほうを見ても、いっしょに、
「ほんまやなあ。」
っていっていたのに、わらっていました。
(みんなわらってんのに、なんでわたしだけが、わらわれへんねんろう)
っておもうと、きゅうにわらけてきました。なぜかわかりません。
ようちえんのときのともだちもいろいろいました。よこたさん、こさばさん、あべさん、いそたにさん。
女の子はそれだけで、山口くん、なかまくん、王のくん、山田くん。男の子はそれだけ。みんなで八人です。
それでも、学校にきてすこしたったけど、ぜんぶともだちになりました。そのとき、
(ともだちって、すぐできるもんやな。)
とおもいました。
いまは、てん校してきたたかはしさんともおともだちです。
ともだちをつくるって、たのしいことです。
おもしろい先生
(一年三月女子)
まえ、先生がいった。
「先生はな、かつら川のところで、ダンボールで、ごきぶりとかねずみとかといっしょにくらしてんやで。」
わたしは(じょうだんや)とわかった。
でも、わらった。みんな、わらった。
そして、かえってから、おかあさんに先生がいったことをはなした。
そしたら、おかあさんは口ではこういった。
「おもしろい先生やな。お金ためて、アパートでもかりたらいいんや。」
でも、わたしは、わらわずに見ていた。
(おかあさんは『じょうだん』だと知っているはずだ。でも、わからなくなってきた。『じょうだん』と知っていたら、「じょうだんやろ。」とか、「じょうだんにきまっている。」って、いうはずや。でも、それは、口に出さなかった。)
ふしぎだった。
でも、わたしは、知っている。なぜ、口に出さなかったのか。
それは、みんなをおもしろくさせてあげられるから。そう、わたしは思った。
ふつう、ゆめのない人は、
「じょうだんにきまってる。」
っていうはずだけど、わたしのおかあさんはそれをいわなかった。
なぜ?
それは、ゆめがあるからだ。
おかあさんは、おばあちゃんにも先生のことをいってあげた。おじいちゃんにも、おとうさんにも、おにいちゃんにも、きんじょの人にもいった。みんな、わらった。
わたしは見ていた。
おかあさんがみんなにいうとき、ニコニコわらってた。
わたしも、なんだかワクワクしてきた。
わたしも、ニコニコがおになった。
うれしかった。
「何とあほなことを言っていたのか」と恥ずかしくなりますが、「私らしい」と言えば私らしい作品です。
(なお、私は「お母さん方の知り合いの中で・・・」と言ったのですが・・・・)
「せんせい」に関する三十年余年前の二つの作品は、大げさかもしれませんが、子どもにとって、何が心に残るのか、子どもは何に向かって・誰に向かって書くのかという示唆を与えているように思います。
究極のところ、子どもは、まずは、先生に向けて詩や作文を書くのではないかと、私は考えています。それは、ある意味、ラブレターのようなものではないだろうかと思うのです。
手前味噌で少し気恥ずかしいのですが、子どもの前に立つ先生は、ラブレターを書いてくれる相手のような存在でありたいものだと、私は考えてきました。
一人ひとりの子どもに寄り添い、子どもの伴奏者として、子どもに接していくこと。何よりも、子どもの声に耳を傾けること、子どもの声を聴くこと。このことが、コロナ禍の中、不安とストレスを一杯抱えている子ども達と向き合うときに大切なことだと考えています。
放課後等デイサービス「エール向日町教室」でも、このことを大切に子どもたちと向き合いたいと考えている今日この頃の私です。