「幼児期から学童期へーー集団的自己の誕生」という資料の中で、北九州市立大学 楠 凡之 先生は、次のように、今の宿題について書いておられました。
「勉強や宿題をしなければという気持ちはあるが、九九や漢字を覚えることが苦手で、漢字の書き順はぐちゃぐちゃ。時にはフリーズしてぼーっと一点を見つめていたり、泣きだしたり、トイレに閉じこもってしまうことがある。(過度のストレスがかかると「解離モード」に入るしかない!)
気持ちの起伏が激しく、楽しく遊んでいたかと思うと急にしょんぼりしてしまう。気持ちが落ち着いていなければ宿題、学習ができない。
発達課題に合わない宿題を学童に帰ってきてまで強制されることは虐待と言えるのではないか。まず、子どもたちが解離モードに入らないで生活できる環境を保障することなしには子どもたちを学びへと誘うことは不可能ではないか。
多くの学校現場で、その子どもの発達状況が適切に理解されないまま、機械的に同一の学習、宿題を課される結果、5,6歳頃(3次元形成期)の発達的な力を十分に獲得できない状況で就学を迎えた子どもたちが心身ともに追い詰められていく事例があまりにも多いのではないか。」
北九州市立大学 楠凡之|幼児期から学童期へーー集団的自己の誕生
私も、全く同感です。
「子どもの発達の観点」で、今の宿題の問題は考えてみる必要があると思います。
お子さんの宿題は、お子さんの発達保障のために本当に必要なものなのでしょうか?
出されてある半分の量にしたら、いらいらしたり、かんしゃくを起こしたりすることなく、宿題に臨むことができるのではないでしょうか?
等々、いろいろなことを考えます。
困っているお子さんの自己肯定感が下がることのないよう、学校の先生方との連携を図っていきたいと考える今日この頃の私です。